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第409号 1991(H3).11発行

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和歌山県における落葉果樹の今後の展望

和歌山県果樹園芸試験場紀北分場
総括研究員兼分場長 富田 栄一

 果物消費の多様化,高級化が盛んにいわれだしてから久しい。現在の大量出荷による市場流通経済のもとでは,需要と供給のバランスがすべてに優先して,価格が決定される。果実の生産が需要に追いつかないうちは,高価格で成長を続けるものの,いったん,そのバランスが崩れると,その後低迷し,やがて,減反政策をとるようになる。

 長い間不況であったミカンも大幅な減反政策の実施で,息を吹き返してきた。全国的に老木樹が多いことから,21世紀の初めにはミカンの生産量不足が心配されるほどである。これも消費の実態がめまぐるしくかわり,長期の需給見通しがつきにくいことにある。

 昭和40年代前半,果汁の酸含量が高いために,消費が停滞し,増産された甘夏,ハッサクにおされて,全国的に伐採の進んだ普通ナツミカンが,このところ,5~6月の果物の端境期に高価格を形成しているのは,その品質とは関係なしに,この時期にカンキツ類の商品がないためである。もちろん,普通ナツミカンの絶対量の少ないことが主因であるが。今年,好調に販売された甘夏,ハッサクもカンキツ類の大幅な減反によるところが大きい。

 生産過剰になると,差別化とか個性化商品とかいわれて,一般商品とは一味違う,いわゆる売れ筋商品(第1図)が,市場から要求され,生産者はその努力を強いられることになる。なぜ,こうなるのか。それは,生産者側からみた本当の意味での消費者ニーズが,ほとんど把握されていないからである。

 現在の消費者ニーズは,すなわち,市場の消費ニーズである。今後は,生産者と消費者のネットワークを結び,相互の信頼関係を樹立して,消費者の求める果物作りをすることが,大切である。

1.全国の果樹栽培と果物消費の状況

 最近10年間の主要果樹の栽培面積の推移をみると,第1表に示すように,ミカン,ナツミカンは大幅に減少,ハッサクも減少しているのに対して,イヨカンは著しく増加している。リンゴ,スモモ,ウメはやや増加,ナシ,カキはほとんどかわらず,ブドウ,モモは減少している。全体として,落葉果樹ではその栽培面積の変動が小さく,生産量の安定していることがうかがえる。

 次ぎに,一人あたりの果物の購入量をみると,第2表である。ミカン,ナツミカン,スイカでは購入量が大幅に減少しているのに対して,落葉果樹ではこの10年間の購入量がほとんどかわらない。このことは,落葉果樹の消費は一定しているものの,これ以上の消費の伸びが難しいことを示している。最近のカンキツ地帯における全国的な落葉果樹の増植ブームをみていると,近い将来,この需給のバランスが崩れないかと心配される。

 今後の食生活には,第2図に示すような三つの大きな流れがあるといわれている。すなわち,グルメ志向,健康志向,簡便志向である。消費者の年令層によって,その消費形態は異なる。

 果物消費の著しく少ない若者,とりわけ,若い奥様方にいかにして果物を買ってもらい,その子供達に食べてもらえるようにするのか,産地としても一層の努力,工夫が望まれる(第3図)。

 カットフルーツにみられるように,簡便志向は若い人に強い。このため,消費にマッチした果物包装の軽量化,ファッション化が大切であり,若者の消費ニーズが把握しにくい今日,本当の意味でのマーケットリサーチが必要である。

2.和歌山県における果樹栽培の動向

 昭和40年代前半に,全国的なミカンの増植にともなって,和歌山県でもミカン,ハッサクの増植が進んだ。産地の古い本県では,傾斜地に新植する余裕が少なく,主に,水田転換園に新植された。

 この水田転換園のミカンの収量は高く,当初,高収益であったが,地下水が高いために,品質が不良で,ミカン生産過剰のなかで,長い間低い収益性に苦しんできた。最近,これをハウスで栽培し,多収,高品質で,安定した高価格をえて,新たな展開をみせてきている。

 和歌山県におけるカンキツ類の栽培面積と生産量の推移をみると(第4図),ミカンは1975年頃をピークに,その後減少して,1989年には10,000haを割った。ハッサクも1985年頃をピークにその後減少し,1989年には大幅に少なくなり,ナツミカンにいたっては最盛期の20%にまで減少し,ネーブルオレンジもやや減少している。

 落葉果樹は,第5図に示すように,カキ,モモ,ウメ,スモモ,キウイフルーツとも1985年以降の増植が著しい。カンキツ園地再編事業による落葉果樹への改植もあるが,長期間にわたって続いたカンキツ類の価格低迷が,落葉果樹への改植,新植に拍車をかけたのである。

 特に,ウメの増植が急ピッチに進み,ここ10年の間にほぼ倍増している(1990年には3,480ha)。最近では,カキ,モモ,スモモが増加している。また,イチジク栽培も都市近郊型農業として増加しており,100haを越えている。

 1989年産の主要果樹生産量の全国シェアーは,ミカン12.3%の全国第2位,ハッサク48.1%の第1位,ネーブルオレンジ21.7%の第1位,カキ13.7%の第1位,ウメ35.4%の第1位,スモモ12.5%の第2位,キウイ8.1%の第3位,モモ5.2%の第5位である。

 農業粗生産額1,351億円のうち果実生産額が733億円(54.3%)を占める果樹王国である。果樹専業農家ではカンキツ類から落葉果樹への転換がいち早く進み,現在,落葉果樹地帯におけるカンキツ栽培は,兼業農家を中心とした経営が多い。

 和歌山県の気象図をみると,第6図に示すように,年平均気温は,内陸部では11~14℃と低いのであるが,海岸線では16~17℃と高い。

 15℃付近の産地には,カキ,モモ,スモモ,ブドウ,キウイ,16℃以上の産地には,ミカン,ハッサク,甘夏,ネーブル,イヨカン,ビワ,ウメ,スモモ,キウイなどの産地が展開されている。年間の降水量は1,500~2,000mmのところが多い。紀南地方では2,000mmをこえている。

 地域別の各品種の裁培面積の割合をみると,伊都地方の栽培面積は3,425haであり,カキが50%と全体の半分を占め,ついでミカン20%,ハッサク8%,那賀地方は4,393haで,ミカン,ハッサクで58%を占め,ついでカキ13%,モモ12%である。

 海草地方は3,335haのうちミカンが67%,ついでカキ10%,ハッサク8%であり,有田地方は4,876haのうちミカンが74%,ついでハッサクの9%であり,両地方とも圧倒的にミカンが多い。

 日高地方は2,843haのうちウメが49%を占め,ついでミカン17%,ナツミカンおよびハッサク12%である。西牟婁地方は2,900haであり,ウメが47%,ついでミカン32%である。この両地方ではウメが最も多く,全国一の産地を形成している。ミカンでは早生種が多く,かつては早期出荷地帯として知られていたが,最近は,紀州一番,越冬袋掛けなどの完熟ミカンの産地として有名である。

 東牟婁地方では145haと少ないものの,海岸線ではポンカン,山間部ではユズ,ジャバラなどの特産物を生産している。このように,南北に長い立地条件を活かして,それぞれの気象条件にあった果樹栽培をしているのが,和歌山県の特徴である。

 主要果樹の収量と収益性をみたのが,第3表である。10a当たりの収量が3t以上のものには,ミカン,甘夏,ハッサク,ナシ20世紀,2t台にはイヨカン,リンゴ,ナシ幸水,モモ白桃,白鳳,1t台にはブドウ巨峰,カキ富有,ウメ,1t以下にはオウトウ,ビワ,クリがある。特に,クリの収量は極めて低い。

 粗収入をみると,オウトウが最も高く,ついでモモ白桃,ブドウ巨峰,ナシ20世紀,ウメ,モモ白鳳の順であり,これらの品種ではいずれも10a当たり50万円を越えている。

 一方,一日当たりの労働報酬では,ウメ,オウトウが2万円以上と群を抜いて高く,最近のウメブームを反映している。1万円程度にはモモ白桃,白鳳があり,カンキツ類は3,107~6,546円と全体に低く,最近の低迷状態をよくあらわしている。

 10a当たりの労働時間は,カンキツ類とカキ富有,ウメが154~181時間と少なく,落葉果樹ではリンゴ,ナシ幸水が260時間と比較的少ないが,他の品種では300時間かそれ以上であり,特に,袋掛けの必要なモモ白桃,ナシ20世紀で最も多くなっている。

 クリは収量,粗収入,労働報酬とも他の果樹に比べて著しく低いが,労働時間も10a当たり32時間と極端に少ないので,カンキツ園の廃園などを利用した大規模経営などにむくのではないか。

3.ウメ生産の展望

 ウメの品種は,各府県の産地によって異なる。たとえば,群馬県では白加賀,福井県では紅サシ,剣先,徳島県では鶯宿であり,和歌山県では南高,古城が主流である。ウメの品種は,その地域の風土にあったものが選抜されているので,全国的に広く通用する主要品種はない。

 南高ウメの最大の欠点は,自家結実性の低いことである。このため,南高の単植園ではほとんど結実をみない場合が多く,必ず受粉樹が必要である。現在,受粉樹には改良内田,小ウメ,小粒南高,在来種などが用いられている。受粉樹のない場合には,在来種の切り枝による活け花,あるいは受粉枝の高接ぎなどが行なわれている。

 南高は青ウメ,漬けウメ両用種であり,収穫期には陽光面が紅色に着色,見事な外観となって,紅南高の名称で高価格で販売されている。紀南地方では海岸線から山間部まで幅広く栽培されており,開花期,成熟期が異なるため,青ウメの出荷期間が6月上旬から7月土旬までと長い。なお,南高では果実の大小による価格差は比較的小さい。

 古城の開花期は遅いものの,収穫時期は5月下旬~6月上旬である。青ウメ専用種であり,大果ほど価格が高い。ウメの摘果は労力的に難しいので,大果生産が容易ではなく,豊作年には小玉になって,価格の低下が大きい。

 南高ウメの受粉はミツバチによる虫媒である。ミツバチの活動は,気温12℃以下や風速2m以上になると,ほとんど停止してしまう。このため,風当たりが少なく,気温の高いところが,ウメの適地となる。

 和歌山県の紀南地方におけるウメの開花期は,1月下旬から2月下旬である。この厳寒期に気温の高いところとなると,その適地はそれほど多くはない。ちなみに,和歌山県の10a当たりのウメ生産量は2tと群を抜いて高い。

 ウメは加工食品であり,最近の健康食品ブームにのって消費は伸びている。しかし,ウメ干し,梅酒,ジュースなどに用いられている今の需要から,菓子,ジャム,ワインなどへの新たな商品作りに発展させないと,需要は停滞してしまう。今後は,若者向けの新商品作りがポイントとなる。

 一方,台湾を中心としたウメの輸入は4万t程度あり,全体の30%を占めるほどである。和歌山産のウメが,ここ3年ほど不作のため,価格が高騰して,加工業者が安い輸入ウメに飛びついたためである。したがって,ウメの生産と消費を伸ばすには,生産者,加工業者,消費者みんなが納得できる価格を形成して,安定した需要を確保することが大切である。

4.カキ生産の展望

 カキの品種には,大きく分けて,渋カキと甘カキがある。渋カキの主産地は,山形県,新潟県,福島県であり,甘カキは愛知県,岐阜県,奈良県,福岡県などである。これに対して,和歌山県では生産量の70%が渋カキの平核無,30%が甘カキの富有で構成されている。この品種構成が,他府県にはみられない大きな産地を形成している。

 ミカンの極早生にあたる平核無の早生系品種である刀根早生が高価格で取り引きされており,和歌山県では万根早生の増植が著しく,出荷時期は9月下旬~10月中旬である。平核無の出荷時期は10月中旬~11月上旬であり,刀根早生の生産増によって,平核無の出荷期間は短くなりつつある。

 松本早生富有の出荷は10月中旬~下旬,富有で11月上旬~12月上旬である。富有の果実を厚さ0.06mmのポリフィルムで個装し,正月前にも出荷している。奈良県,福岡県などでは富有を貯蔵して1~3月に出荷,高価格をえている。

 平核無の10a当たりの生産量が3t程度なのに対し,富有では2tと低い。これは,着葉数の違いによるものであり,富有成木では樹冠の内部にいかにして着果,着葉させるかが,生産性を高めるポイントとなる。

 カキ栽培では摘蕾が必須の作業であるが,この他に,富有では人工受粉が欠かせない。一方,平核無では収穫後に脱渋という作業が必要である。生産力,受粉の有無,価格などの点から,有利な平核無が急増しているのである。ただし,平核無では軟果の発生,収穫後の日持ち性が低い問題もあって,富有に比べて出荷期間が制約される。

 カキ栽培で最も注意すべきことは,4月上旬~中旬の晩霜害である。1987年の4月14日に-4℃の低温をうけて,平坦地,傾斜地の平核無が大きな被害をうけたことは,記憶に新しい。発芽期の早い平核無では,その適地での栽植が,特に重要である。

 最近,カキのハウス栽培が導入,普及されて,和歌山県でも10haのハウス産地にまで発展してきた。今のところ,ハウス栽培の適応品種は刀根早生であり,12月下旬加温の7~8月出荷と1月下旬加温の8月中旬~9月中旬出荷のタイプがある。ハウス化で晩霜害は完全に回避できる。

 今後,カキの周年供給産地とするためにも,ハウス培培による7月上旬~9月中旬出荷,刀根早生・平核無の9月下旬~11月上旬出荷,富有の11~12月出荷,それに冷蔵富有の1~3月出荷,氷温貯蔵による富有の4~5月出荷をめざしたい。

 こうした点から,富有の老木園の改植,有望な新しい甘カキ品種の導入が,産地にとって緊急の課題である。カキの樹齢が40年生を過ぎると,生産力が低下するとともに,商品価値の高い大果生産ができなくなるので,園の若返りが急がれる。

5.モモ生産の展望

 全国的に主産地のモモ栽培面積が低下しているなかで,和歌山県だけが増加している。これは,和歌山県が新しい産地のためである。モモの連作障害は,果樹のなかで最も大きい。このため,産地が動くのである。

 主産県では,白桃が中心なのに対して,和歌山県では白鳳が主流である。その出荷時期は6月下旬~7月中旬であり,下旬になると,清水白桃の出荷がみられる程度である。

 他府県の主産地とうまく棲み分けができているのであるが,産地として息長く出荷していくには,今のように白鳳に偏っている品種構成を,白桃をもいれた構成にする必要がある。そして,ハウス栽培による5月中旬~6月中旬出荷,ついで,白鳳,白桃と連続出荷して,少なくとも8月下旬まで出荷できる産地に持っていきたい。

 モモ栽培では,3月から7月にかけて,摘蕾,摘果,袋掛け,収穫と連続して忙しい日が続く。自家労力で管理できるには限界がある。ところが,最近の人手不足で,農繁期の雇用が思うように進まない。これを少しでも解消するには,ハウス栽培の導入とともに,早生,中生,晩生の熟期の異なる品種を適正に配置して,一時的に集中する労力を分散させるようにする。

6.その他の落葉果樹

 スモモの主要品種は,大石早生,サンタローザ,ソルダムであり,6~7月に出荷されている。梅雨時期の日照の少ないときに成熟するので,果汁の糖度の低いことが問題である。ハウス栽培など高品質果生産の取り組みも行なわれている。果実の大きさが手頃であり,皮をむかなくてよい簡便さなど,今後の努力次第では,需要の拡大が期待できる。

 ブドウの生産は伊都地方に限定されているが,今後,紀の川流域の農免道路の開通によって,大都市大阪に隣接している地の利を活かした観光ブドウ園としての伸びが期待される。

 ナシの生産は少ないが,夏果物として,また,観光ナシ園として,増加が見込まれる。キウイフルーツの生産は,消費の頭打ちで,現状維持,クリは大規模に生産すれば,省力的な果樹として経営できそうであるが,現状では減少傾向にある。

7.むすび

 果樹生産者の年令構成が50才以上と高齢化している今日,いかにして重労働から解放して,軽作業にもっていくかが,緊急の課題である。急傾斜地園のフラット化(既成園の基盤整備),機械化(SSによる防除,モノラックを利用した防除,摘果,収穫など)を進める必要がある。

 栽培的には,低樹高(樹高を3m以下にする)にして,地上部から大部分の作業ができるようにする。果実品質は自然の天候の影響をうけて,年によって変動するので,高品質果実を安定して生産できるわい性台木の開発(たとえば,モモのユスラウメ,ニワウメ台など)が急務であり,カキに関するこの方面の研究は著しく遅れている。

 後継者難に苦しんでいる農村社会にあっては,町・農協主導による農業団地の再構築と労働力の確保(町・農協職員による農作業管理体制),後継者の花嫁対策など,解決を要する問題が多くある。生産者個人のレベルで対応できる範囲は限られている。今こそ,生産者ニーズにこたえられる行政施策が求められている。そして,消費者も日本農業を守るという高い次元から,食糧生産の重要性を改めて見直して頂きたい。

 

 

肥料の来た道帰る道
1.施肥の起源

京都大学
名誉教授 高橋 英一

 施肥の起源,それは農業の起源に遡る。人類は誕生以来長い間,おそらく百万年以上にわたって狩猟,採集の生活を送ってきたが,今から1万年ほど前から農業をはじめるようになった。そうさせたのは一体何だったのだろうか。

 スペンサー(イギリスの哲学者 1820-1903)によれば,それは人口圧であった。

 「はじめからこの人口圧が進歩の原因として働いていた。それにより種族は広く分布するようになった。それにより人は掠奪する習慣をやめ,農業を営まねばならないようになった。それは人間を社会的状態に押し込め,生産の進歩改良にかりたて,技術と知能を向上させた。」と彼はその著「生物学原理」の中で述べている。

 初期の農業は今日焼畑あるいは移動農耕と呼ばれているような形態であったろうと思われる。当時の主要な生活の場であった森林地域で農業,つまり目的とする特定の植物を育てるためには,まず自然の植生を切り拓く必要があっただろう。簡単な道具しかもたなかった彼らにとって空地を拓く方法は,大きな木は樹皮をはいで枯らし,枝を落してから火を放つことであったろう。

 こうすることによって切株を残して空地ができるとともに,植生の中にたくわえられていた無機養分は灰となって一時に可溶化し,土に供給される。また人間が育てようとする植物(作物)と競合する植物(雑草)の種子も死滅する。

 さらに熱によって土壌表層の微生物も部分的に死に,その結果土壌微生物相が攪乱,活性化されて土壌有機物の分解を促進し,それに含まれている窒素などの養分を解放する。こうしたところへ掘棒で穴を掘って根菜類の種いもを植えたり,豆や穀類の種子を播いて水をやると,食料採集時代にくらべてかなり多くの食糧が得られる。

 こうして数年間はひとところにとどまって生活することができる。しかし一時的にもたらされた土の肥沃度が低下し,雑草も勢いをもりかえし,も早十分な収穫が得られなくなると,別の場所へ移動して再び火入れを行なう。これを何回か繰返して20~30年で再びもとのところへ戻ってくる。

 このようなところから焼畑農耕は移動農耕とも呼ばれている。この焼畑農耕の中には施肥行為が含まれている。それは無意識ではあったろうけれども,施肥行為の本質をみることができるのである。

 つまり施肥とは,自然の中に存在している養分,即ち植物や微生物や土の中に固定されていた養分を解放して,自分が育てようとする特定の植物に吸収させ,塊根や穀粒などの人間が利用できる部分に集めて消費するという一連の行為である。

 焼畑農耕は土地生産性の上では低いが,労働生産性ではむしろ高いと評価できる。ボーズルプ女史はその著「農業成長の諸条件」の中で,焼畑式を他の方法と一緒に行っている社会では焼畑式の方を楽な方法と呼んでおり,単位面積当たりの収量の多い,より集約的な技術をいまなお採用したがらないところがあるのは,長時間の骨の折れる作業から比較的自由であることの方を択ぶからであると述べている。

 労働生産性と土地生産性のどちらを択ぶかは,時代により地域により,人口密度や技術レベルの度合により異なる。ともあれ家畜に飼料を与えるように,意識して作物に肥料を与えるようになる以前から施肥行為は存在していたのであり,このような意味において施肥の起源は農業のはじまりとともにあったのである。

 このようにして自然の中に切り拓かれた農地は,作物という生産機械が太陽の光をエネルギー源として,個々の栄養素を食糧に再構成する工場となった。その生産力はインプットされる光や水や栄養素の函数であり,その大きさは扶養される人数で測ることができる。

 第1図は農耕が始まった約1万年前から現在にいたる世界人口の推移を示したものである。食料採集や狩猟がもっぱらであった旧石器時代末期の世界人口は1,000万人前後と推定されているが,農耕の開始を境に徐々に増加をはじめ,四大文明のはじまりの紀元前4000年ごろには2~3億に達していたと考えられている。

 その後も人口はゆるやかに増加を続け,途中ペストによる落ち込みがみられるが,17世紀の中頃には5億人に達した。そして18世紀後半の産業革命を契機に人口増加は加速を始め,さらに20世紀になって爆発的な増加をとげ,現在の世界人口は53億余,実に3世紀前の10倍に膨脹している。

 それは人間の消費する食糧が10倍に,あるいは農業生態系を通しての栄養素の循環量が10倍になったことを示している。人口という数値が示す歴史の推移の中で,肥料がどのような道を歩んできたかを,これからこの紙面を借りて概観してみることにしたい。

一口メモ
奴隷制の起源と農業

 長い間土地生産性を上げるために,労働生産性は犠牲にされてきた。ルソーはその著「人間不平等起源論」(1755年)の中で,人は切り拓かれた畑を額に汗して耕さねばならなくなった。今や人間は作物を栽培することを学んだが,その一方で作物が収穫されるとともに悲惨と奴隷制が育っていったと述べている。

 その例は古くはローマ帝国のプランテーション農業に,近世では西インド諸島のサトウキビ栽培やアメリカ南部の棉栽培にみることができる。わが国でも農業機械の導入によって労働生産性の向上が図られるようになったのは,戦後も大分たってからのことであった。

 またウイルキンソンはその著「経済発展の生態学」の中でつぎのように述べている。

 「エデンの園は,食糧が取られるためにそこにあるというような狩猟採集生活を象徴している。このような理想的な状態を維持するための一つの条件は,性的な抑止,あるいは人口制限の方法を実行することである。アダムとイブがこの象徴的な性のタブーを破るやいなや,彼らは楽園から追放され,以後土地を耕さねばならなくなるのである」(斉藤修・安元稔・西川優作訳 リブロポート 1985年)。

 スペンサーの言うように,はじめに人口圧ありきであった。人間の歴史は人口問題の歴史であるとも言えるのである。